rrrtyysのブログ

人生生きてると色んな事がおきます。
全ては私に必要な経験。

どこに辿り着くのか楽しみ⋆͛♡̷♡̷⋆

私の心中をつぶやきたくて作りました。

金縛り

金縛り。


私の小さな頃の記憶です。


よく金縛りになりました。


まだ小学生低学年だと思います、


頭の中に黒い大きなグニョグニョした渦と小さなグニョグニョした渦。


この二つの渦が私の頭の中に出てきては回転して、

グルグルグルグル、、、

凄く怖くて不気味で、でも身体は動かせなくて、

早く朝になって。!っと何度か体験しました。


とある日は、



真っ白な画用紙が一枚だけ出てきて。

ただそれだけ。。


とある日は、


家族で大きな迷路を探索中、、、

2つ道に分かれ、


私だけが片方を行く事になり、、

案内人の人により説明されたのが、

あなたは地獄を選びました、


お父さん達は天国のほうの道を選びましたので、

さぁ私と行きましょう、、、


どの金縛りもこの夢も小さい私にとっては夢であろうが恐怖でもう怖かった、、、。


小さい頃は感性が豊かで色んな夢をみるとゆうけれど、、

あまりにも私には酷だった。

母と私

私はお母さんが大好き、


小さい頃、


すぐ後ろをついて回った私、


お母さんがトイレにいくのもドアの外で待っていた。


ある日、

もう!着いてこないで!!ってお母さんに言われた日があった。。


悲しかった、今でも覚えてる、


でも21歳位で結婚して、3人の子供、

パートでもなく、フルタイムで共働きの両親。プラス父方の祖父母も同居。


お母さん大変だったんだ。。

お父さんとは年が少し離れてるからじいちゃん達はまわりの友達のじいちゃん達より歳とってる方だった。。

だから晩御飯も別に田舎料理に近いものを別で作ってた。


本当に本当に大変だったんだね、家にいる日は、お母さんはよく寝てた。

疲れてたんだね、、


私は友達がお母さんとクッキー作ったりお昼を一緒に食べてたりするのが羨ましくて、、


土曜日の昼は学校が早く終わる。

帰ったら昼ごはんが用意されてる友達の家が羨ましかった。


友達と外で遊んで草花をちぎって帰ってきたとき、

友達のおうちにはお母さんが小さな花瓶に入れて可愛く飾ってあった。


私がルンルンで草花を持ち帰ると、

そんなのちぎってきてー!💦

やっぱりお母さんは忙しかったんだね。


おやつは、冷蔵庫のちくわ、加工ハム、海苔にマヨネーズとわさびをつけて巻いて食べる。

お兄ちゃんと発見した食べ方💡


たまに食べれる10個入りくらいの風船ガム🎈

ポテトチップス🍟



こんな今になって愚痴こぼしてしまうけど、


どれだけ大変だったんだろう。。

おやつを買う余裕より

それよりも、家族7人分の毎日の食事作り。


たくさんたくさんありがとうお母さん。

私はビールもお酒も強くもないのに、つまみ系が好きなのはこの経験のおかげかな〜〜❤️

小さい頃

私は2歳?3歳?頃から自分の部屋があったから、


ベッドで一人寝ていました。

もちろんお母さんと。

けど小さい為、早々寝かされ、

寝付いた頃にお母さんは私の布団に入り、

早朝には朝ごはん作りの為、起きるともう横にはいない。。


たまに夜中目が覚めてお母さんが横にいると、ちゃんと息をしているだろうかと、、背中あたりにいつも手を添えて、寝息を感じるととっても安心して眠れたのを思い出します。🍀


小さい時はやっぱり母親の存在は大きいな、、きっとどの人にとっても勿論そうだと思う。大人になってる今でも。。


母親が夜勤の時は、

8時半頃には寝かされ一人で寝る。

コレ一番辛かった。


お母さんだけ枕を使って寝ていたから、いない夜は枕を抱いて、、

お母さんのシャンプーの匂いが、またもっと私を泣かせた。

枕を何度もビショビショに濡らして泣いたなー。。


気付けば泣き疲れてそのまま寝て、朝になってたんだと思う。


眠れない夜はリビングで洋画を見てるお父さんの所へ降りて行き、

シクシク泣いて。。

夜勤中のお母さんの職場へ連れてってもらい病院で一晩過ごした日もあった。。


きっと保育園児〜小学1年の頃な気がする🍀


男の子の方がママママとなるとよく聞くけど、

私は甘えすぎてたのかなぁ、、

兄が2人私にはいるけど、、あまり目の当たりした事なかったな。。



男の子なりに上らしく我慢してるのもあったのかな、、

私ばかり甘えるから遠慮してたのかな?ごめんね、お兄ちゃん達。。


いくら兄弟とはいえ、こんな話は今になっても聞けない。。